京阪・河内森駅
森の氏神社で住吉四神を祀る。古代この地方は土地が良く肥えて、作物が豊かな野であったので、甘野といわれ、川は甘野川、田は甘田であった。この甘田に田の神を祀って建てた甘田宮が当天田神社の起源と言われている。(神社由緒より)
出発前の打ち合わせ
上り坂山道を歩く
南山弥生時代住居遺跡標石
柿のなる里山を歩く
案内板
ツリカネニンジン
白旗池
交野いきものふれあいの里案内板
山頂へ悪路急坂が続く
階段が続く
三宝荒神朱鳥居通過
なんだ坂・こんな坂・・皆さん驚くほど元気でした。日頃のトレーニングの成果ですね。
交野山山頂(341m)
歩こう会・・厳しい坂を上り終えて一息つく・・
交野山古代岩座址石標
交野いきものふれあいの里に到着(昼食休憩)
展示--野鳥、昆虫、植物、小動物などの写真パネル、模型、解説、その他観察用具--望遠鏡、双眼鏡、ルーペなど。図書コーナー--野鳥、昆虫、植物、小動物などの各種図鑑・参考書などまた、観察会、講習会などが、季節により開催される。植物採取、昆虫採集は禁止されています。
参加表彰とPM行動説明
一気に山を下り・・一息・・
80-3074
昔、この近くに関元寺という寺院があったので、元寺滝と名づけられたと言われています。 
この滝は古くから交野の山中で修行を行う修検者が身を清めた場所で、滝壺の傍らの岩には不動明王を意味する梵字が掘られています。
大岩の上に不動明王石造?
源氏の滝の入口、鏡池の東北のほとりに夜泣き石がある。源氏姫が悲しみのあまり、滝壷に身を投げてから、この石が泣くという。
機物(はたもの)神社到着
機物神社の創建の時期については明確ではないが、社名のハタモノとは渡来人の秦氏が祀った神社ではないかとの伝えもあり、その起源は4~5世紀に遡るとも言われている。1476年(文明8年)に神祇管領の卜部兼
倶の奉幣があったことが記録にあり、室町時代の頃にはそれなりの格式をもって存在していたようである。
帰路、交野山山頂の巨岩が見える
JR河内岩船駅に到着(解散)
交野山・いきものふれあいの里方面ウォーク
uji_walkman
Author: uji_walkman (ID: 12644)
Posted: 2012-10-29 02:36 GMT+00:00
Mileage: 10.20 km
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Tags: Hiking, 歩こう会
Views: 1341
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10/21日、宇治市民歩こう会10月例会(第575回)が開催され参加する。
コース= 京阪宇治駅(8:30)集合~京阪河内森駅着(天田神社受け付)~南山弥生時代住居遺跡標石~菅原神社~交野いきものふれあいの里(昼食)~源氏の滝~機物神社~JR河内岩船駅(解散)~京阪河内森駅。
出発すぐに上り坂が続き、交野(kono)山山頂付近は急坂があって低い山ながら結構きつく、山登りの気分を楽しみました。山頂からの180度パノラマの眺めは素晴らしかったです。(11km・参加者63名でした。)

京阪・河内森駅
出発地天田神社
森の氏神社で住吉四神を祀る。古代この地方は土地が良く肥えて、作物が豊かな野であったので、甘野といわれ、川は甘野川、田は甘田であった。この甘田に田の神を祀って建てた甘田宮が当天田神社の起源と言われている。(神社由緒より)
出発前の打ち合わせ
上り坂山道を歩く
南山弥生時代住居遺跡標石
柿のなる里山を歩く
案内板
ツリカネニンジン
白旗池
交野いきものふれあいの里案内板
山頂へ悪路急坂が続く
階段が続く
三宝荒神朱鳥居通過
急坂を上る
なんだ坂・こんな坂・・皆さん驚くほど元気でした。日頃のトレーニングの成果ですね。
交野山山頂(341m)
歩こう会・・厳しい坂を上り終えて一息つく・・
交野山古代岩座址石標
交野いきものふれあいの里に到着(昼食休憩)
いきものふれあいセンター
展示--野鳥、昆虫、植物、小動物などの写真パネル、模型、解説、その他観察用具--望遠鏡、双眼鏡、ルーペなど。図書コーナー--野鳥、昆虫、植物、小動物などの各種図鑑・参考書などまた、観察会、講習会などが、季節により開催される。植物採取、昆虫採集は禁止されています。
参加表彰とPM行動説明
一気に山を下り・・一息・・
80-3074
源氏の滝
昔、この近くに関元寺という寺院があったので、元寺滝と名づけられたと言われています。
この滝は古くから交野の山中で修行を行う修検者が身を清めた場所で、滝壺の傍らの岩には不動明王を意味する梵字が掘られています。
大岩の上に不動明王石造?
夜泣き岩
源氏の滝の入口、鏡池の東北のほとりに夜泣き石がある。源氏姫が悲しみのあまり、滝壷に身を投げてから、この石が泣くという。
機物(はたもの)神社到着
機物(はたもの)神社
機物神社の創建の時期については明確ではないが、社名のハタモノとは渡来人の秦氏が祀った神社ではないかとの伝えもあり、その起源は4~5世紀に遡るとも言われている。1476年(文明8年)に神祇管領の卜部兼
倶の奉幣があったことが記録にあり、室町時代の頃にはそれなりの格式をもって存在していたようである。
交野山
帰路、交野山山頂の巨岩が見える
JR河内岩船駅に到着(解散)
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