2008年6月14日に橋上駅舎が一部完成し使用開始となり、同年11月21日に駅舎は全面的に完成した。引き続き南北の駅前広場の整備も行われ、2009年3月までに完成した。4番のりば(下り待避線)を設置し両方向で優等列車の待避が可能な2面4線にする工事も行われ、2010年3月7日の花園駅 - 当駅間の複線化に合わせて供用を開始した。
トロッコ嵯峨駅
天竜寺へ
天龍寺の地には平安時代初期、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(たちばなのかちこ、786年 - 850年)が開いた檀林寺があった。その後約4世紀を経て荒廃していた檀林寺の地に後嵯峨天皇(在位1242年 - 1246年)とその皇子である亀山天皇(在位1259年 - 1274年)は離宮を営み、「亀山殿」と称した。「亀山」とは、天龍寺の西方にあり紅葉の名所として知られた小倉山のことで、山の姿が亀の甲に似ていることから、この名がある。天龍寺の山号「霊亀山」もこれにちなむ。
天竜寺門参道
庫裏
大方丈から見た 曹源池
禅堂
嵐電嵐山駅
激動の昭和と共に歩み続けた「美空ひばり」のすべてをひばりが第二のふるさととして慣れ親しんだ京都を選び、嵐山に美空ひばり座を設立しました。
嵐山の紅葉
渡月橋
嵐山公園へ
人力車で観光
宝厳院へ
寛正2年(1461年)、細川頼之が聖仲永光を開山に招聘して創建。当時は現在の京都市上京区にあった。応仁の乱(1467年 - 1477年)に巻き込まれて焼失し、天正年間(1573年 - 1591年)に再興された、
明治時代 河川工事のため、寺域が買い上げられ、天龍寺塔頭の弘源寺内に移転した。平成14年(2002年)、天龍寺方丈南側の現在地を購入して移転、再興した。
境内
宝厳院門前
嵐山羅漢
羅漢
保津川下り
亀山公園の紅葉
平安時代に藤原定家の山荘「時雨亭」があったと伝わる地で、安土桃山時代末の慶長元年(1596年)に日蓮宗大本山本圀寺十六世日禎が隠棲の地として当山を開いた。
歌人でもある日禎に小倉山の麓の土地を寄進したのは角倉了以と角倉栄可で、小早川秀秋ら大名の寄進により堂塔伽藍が整備された。
境内の紅葉
多宝塔と紅葉
裏口
嵯峨天皇皇女 有智子内親王墓
落柿舎前
平安時代初期の承和年中(834年 - 847年)、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したと伝える。以後、荒廃するが、鎌倉時代初期、法然の高弟である湛空らにより再興される。
応仁の乱により堂塔伽藍が全焼するが、本堂と唐門が約30年後の永正18年(1521年)に三条西実隆によって再建された。
本堂前の紅葉
弁財天堂
参道の紅葉
元々は浄土宗の僧・良鎮が創建した往生院の跡を引き継いで今日に至る。また、平家物語には平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前が出家のため入寺したとしても知られている。その後往生院は衰退をたどり、明治時代の初期に一時廃寺となるが、嵯峨大覚寺の支配を受け真言宗に改宗し、1905年(明治38年)に富岡鉄斎らの尽力もあって復興を遂げた。
苔の庭でも知られる。
紅葉と苔が美しい庭園
清凉寺(せいりょうじ)は、京都府京都市右京区嵯峨にある浄土宗の寺院。山号を五台山(ごだいさん)と称する。嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)の名で知られ、中世以来「融通念仏の道場」としても知られている。宗派は初め華厳宗、後に浄土宗となる。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は奝然(ちょうねん)、開山(初代住職)はその弟子の盛算(じょうさん)である。
本堂
多宝塔
嵯峨小学校
平成寺
JR嵯峨嵐山に戻る(展示SL)
20101119-嵐山・嵯峨紅葉巡り
uji_walkman
Author: uji_walkman (ID: 29758)
Posted: 2016-08-26 05:38 GMT+00:00
Mileage: 7.48 km
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Tags: Photography, ウォーキング, 歩こう会
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紅葉真っ盛りの嵐山・嵯峨野エリアを散策、紅葉を満喫してきました。。
※コース= JR嵯峨嵐山駅~天竜寺~嵐山公園~宝厳院~常寂光寺~二尊院~祇王寺~清涼寺~JR嵯峨嵐山駅。

JR嵯峨嵐山駅
2008年6月14日に橋上駅舎が一部完成し使用開始となり、同年11月21日に駅舎は全面的に完成した。引き続き南北の駅前広場の整備も行われ、2009年3月までに完成した。4番のりば(下り待避線)を設置し両方向で優等列車の待避が可能な2面4線にする工事も行われ、2010年3月7日の花園駅 - 当駅間の複線化に合わせて供用を開始した。
トロッコ嵯峨駅
天竜寺へ
天竜寺総門
天龍寺の地には平安時代初期、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(たちばなのかちこ、786年 - 850年)が開いた檀林寺があった。その後約4世紀を経て荒廃していた檀林寺の地に後嵯峨天皇(在位1242年 - 1246年)とその皇子である亀山天皇(在位1259年 - 1274年)は離宮を営み、「亀山殿」と称した。「亀山」とは、天龍寺の西方にあり紅葉の名所として知られた小倉山のことで、山の姿が亀の甲に似ていることから、この名がある。天龍寺の山号「霊亀山」もこれにちなむ。
天竜寺門参道
庫裏
大方丈から見た 曹源池
禅堂
嵐電嵐山駅
美空ひばり座
激動の昭和と共に歩み続けた「美空ひばり」のすべてをひばりが第二のふるさととして慣れ親しんだ京都を選び、嵐山に美空ひばり座を設立しました。
嵐山の紅葉
渡月橋
嵐山公園へ
人力車で観光
宝厳院へ
宝厳院
寛正2年(1461年)、細川頼之が聖仲永光を開山に招聘して創建。当時は現在の京都市上京区にあった。応仁の乱(1467年 - 1477年)に巻き込まれて焼失し、天正年間(1573年 - 1591年)に再興された、
明治時代 河川工事のため、寺域が買い上げられ、天龍寺塔頭の弘源寺内に移転した。平成14年(2002年)、天龍寺方丈南側の現在地を購入して移転、再興した。
境内
宝厳院門前
嵐山羅漢
羅漢
保津川下り
亀山公園の紅葉
常寂光寺
平安時代に藤原定家の山荘「時雨亭」があったと伝わる地で、安土桃山時代末の慶長元年(1596年)に日蓮宗大本山本圀寺十六世日禎が隠棲の地として当山を開いた。
歌人でもある日禎に小倉山の麓の土地を寄進したのは角倉了以と角倉栄可で、小早川秀秋ら大名の寄進により堂塔伽藍が整備された。
境内の紅葉
多宝塔と紅葉
裏口
嵯峨天皇皇女 有智子内親王墓
落柿舎前
二尊院山門
平安時代初期の承和年中(834年 - 847年)、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したと伝える。以後、荒廃するが、鎌倉時代初期、法然の高弟である湛空らにより再興される。
応仁の乱により堂塔伽藍が全焼するが、本堂と唐門が約30年後の永正18年(1521年)に三条西実隆によって再建された。
本堂前の紅葉
弁財天堂
参道の紅葉
祇王寺
元々は浄土宗の僧・良鎮が創建した往生院の跡を引き継いで今日に至る。また、平家物語には平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前が出家のため入寺したとしても知られている。その後往生院は衰退をたどり、明治時代の初期に一時廃寺となるが、嵯峨大覚寺の支配を受け真言宗に改宗し、1905年(明治38年)に富岡鉄斎らの尽力もあって復興を遂げた。
苔の庭でも知られる。
紅葉と苔が美しい庭園
清涼寺
清凉寺(せいりょうじ)は、京都府京都市右京区嵯峨にある浄土宗の寺院。山号を五台山(ごだいさん)と称する。嵯峨釈迦堂(さがしゃかどう)の名で知られ、中世以来「融通念仏の道場」としても知られている。宗派は初め華厳宗、後に浄土宗となる。本尊は釈迦如来、開基(創立者)は奝然(ちょうねん)、開山(初代住職)はその弟子の盛算(じょうさん)である。
本堂
多宝塔
嵯峨小学校
平成寺
JR嵯峨嵐山に戻る(展示SL)
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