のざきまいり公園にて、行動予定とウォームアップ
野崎観音(慈眼寺)到着
慈眼寺本堂。天平勝宝年間(749年 - 757年)にインドから来朝した婆羅門僧正が行基に「野崎は釈迦が初めて仏法を説いた鹿野苑(サルナート)に似ている」と語り、それを受けて行基が白樺で十一面観音を刻んで当地に安置したのが始まりと伝えられる。本尊は長谷寺の本尊と同木から彫られたという。
 平安時代に江口の君が、難病治癒の報恩感謝のため現在の場所に寺を移転し、再興に尽力(真言宗説がある)。
 中世以後は戦乱により衰微し、特に永禄8年(1565年)には三好義興・松永久秀の戦禍(東大寺大仏殿の戦い)にかかり、本尊を除いて全焼した。元和2年に(1616年)青厳によって再興され、天和2年(1682年)に野崎参りが始まる。元禄・宝永年間(1688年 - 1710年)に野崎参りが盛んになるにつれ繁栄するようになった。
飯盛山ハイキングコースへ
七曲へ
狭い荒れた道を登る
山頂の楠木 正行像
飯盛城址にて・・
当日は霞みがかって視界が悪い。
飯盛山を下る
楠木公寺
森林を下る
権現滝へ
せせらぎを聞きながら歩く・・
護摩祈祷が行われていた
権現の滝・・しばし冷を得る
むろいけ園地へ
むろいけ・かるがも橋を渡る
むろいけ広場で休憩・・参加精勤者表彰
中池水辺広場を歩く
林道でササユリが・・
水辺自然園へ・・
かなりの急階段・・
御祭神 素盞嗚尊式内社で起源は奈良時代に鎮座されていたものと推測される。永禄3年(1560年)三好長慶が飯盛山に居城した頃には 飯盛城鎮護の神として崇敬も厚かった。 
御机神社古案内文には「古くは現在地の東方 宇宮地にあったが 文禄年間(1592~1596年)に宇城の堂山に移し 更に元禄13年(1700年)にこの地に移転したものである」と記されている。現在の社殿は 明治14年に建て替えられたものである。
四条畷神社に到着
お参りをする・・
役員の皆さん、参加の皆さんお疲れさまでした。次回も宜しくお願いいたします。
大阪・飯盛山-むろいけ園地方面ウォーク
uji_walkman
Author: uji_walkman (ID: 12644)
Posted: 2014-06-18 06:44 GMT+00:00
Mileage: 10.32 km
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Tags: 歩こう会, ウォーキング
Views: 1264
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6/15日 宇治市民歩こう会・6月例会が開催され参加する。
コース: 近鉄大久保駅集合(8:15)→新田辺~JR京田辺(乗換)→JR野崎駅(受付9:30)~野崎観音~飯盛山(314.3m)~権現滝~むろいけ園地(昼食)~御机神社~四条畷神社~JR四条畷駅(解散)。野崎参りでお馴染みの野崎観音から低山ながらアップダウンが厳しい七曲りへ・・久し振りの登山気分満点のコースでした。参加者56名・10Kmでした。

のざきまいり公園にて、行動予定とウォームアップ
野崎観音(慈眼寺)到着
慈眼寺本堂
慈眼寺本堂。天平勝宝年間(749年 - 757年)にインドから来朝した婆羅門僧正が行基に「野崎は釈迦が初めて仏法を説いた鹿野苑(サルナート)に似ている」と語り、それを受けて行基が白樺で十一面観音を刻んで当地に安置したのが始まりと伝えられる。本尊は長谷寺の本尊と同木から彫られたという。
 平安時代に江口の君が、難病治癒の報恩感謝のため現在の場所に寺を移転し、再興に尽力(真言宗説がある)。
 中世以後は戦乱により衰微し、特に永禄8年(1565年)には三好義興・松永久秀の戦禍(東大寺大仏殿の戦い)にかかり、本尊を除いて全焼した。元和2年に(1616年)青厳によって再興され、天和2年(1682年)に野崎参りが始まる。元禄・宝永年間(1688年 - 1710年)に野崎参りが盛んになるにつれ繁栄するようになった。
飯盛山ハイキングコースへ
七曲へ
狭い荒れた道を登る
山頂の楠木 正行像
飯盛城址にて・・
山頂からの眺め・
当日は霞みがかって視界が悪い。
飯盛山を下る
楠木公寺
森林を下る
権現滝へ
せせらぎを聞きながら歩く・・
護摩祈祷が行われていた
権現の滝・・しばし冷を得る
むろいけ園地へ
むろいけ・かるがも橋を渡る
むろいけ広場で休憩・・参加精勤者表彰
中池水辺広場を歩く
林道でササユリが・・
水辺自然園へ・・
かなりの急階段・・
御机神社
御祭神 素盞嗚尊式内社で起源は奈良時代に鎮座されていたものと推測される。永禄3年(1560年)三好長慶が飯盛山に居城した頃には 飯盛城鎮護の神として崇敬も厚かった。
御机神社古案内文には「古くは現在地の東方 宇宮地にあったが 文禄年間(1592~1596年)に宇城の堂山に移し 更に元禄13年(1700年)にこの地に移転したものである」と記されている。現在の社殿は 明治14年に建て替えられたものである。
四条畷神社に到着
お参りをする・・
境内で解散挨拶・・JR四条畷駅から帰路に就く
役員の皆さん、参加の皆さんお疲れさまでした。次回も宜しくお願いいたします。
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