| Author: | uji_walkman (ID: 12644) | Posted: | 2014-01-28 05:56 GMT+00:00 | Mileage: | 8.34 km | |
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| Tags: | 歩こう会, ウォーキング, 京都 |
| Views: 1613 |
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1/22日 Uji_健歩会・1月例会が開催され参加する。
コース= JR山科駅(集合)~諸羽疏水公園(ストレッチ)~府道143号線(蹴上)~南禅寺~神宮道~岡崎公園(昼食)~夷川ダム~御池大橋(解散)。
前日からの低温で、当日も寒気厳しい1日でしたが、歩くにつれ寒さもほぐれて疏水の歴史、先人の偉業を再認識するウォーキングでした。参加者79名・10kmでした。
| JR山科駅前(集合) |
| 諸羽神社前 |
| 諸羽疏水公園にてストレッチ |
| 疏水沿いを歩く |
| 眼下に山科市街が・・ |
| 御陵辺りを歩く |
| 元気いっぱい! 学童と出会う |
| 永興寺前にて小休止 |
| 第一疏水・第2トンネル東口 |
| 第2トンネル西口 |
| 第一疏水・第3トンネル東口へ |
| 蹴上舟溜り |
| 第一疏水・第3トンネル東口 |
| 日本一古い鉄筋コンクリート橋 |
| 粟田口大名号碑 |
「木食正禅養阿上人(1687~1763)は、江戸時代中期の木食上人のひとりである(出身は丹波保津村)。木食とは。草根木皮の生食のみで生きる、難行中の難行を云う。
当時の京都には、11カ所の無常所(六墓五三昧)があり、いずれも刑場に近いので、僧侶一般に敬遠され勝ちであった。しかし上人は敢えて寒夜を選んで念仏回向にまわり、享保2年(1717)7月、永代供養のため、各所に名号碑を建立した
| 日ノ岡宝塔 |
桓武天皇・奈良より京都へ遷都以来明治に亘る千有余年の間極刑場(粟田口処刑)が現在の九条山附近にありました。
| 京津国道改良工事記念碑 |
京都市の蹴上と大津市の札の辻を結ぶ京津国道は,昭和6(1931)年から昭和8年にかけて,内務省大阪土木出張所京津国道改良事務所により拡幅舗装が施工された。この碑は工事竣工を記念して建てられたもので,3段の基壇には三条街道車石の廃材が使われている。また碑本体には竪に溝が走っていて,車の通行で溝ができた橋材を再利用したものと考えられている。
| 石車碑 |
| 第3トンネル西口 |
| 当時活躍したインクライン |
| 第一・第二疏水合流点 |
| 疏水・水路閣 |
| 南禅寺門 |
| 神宮道に出る |
| 岡崎公園にてpm行動打ち合わせ |
| 夷川ダム |
| 鴨川河原にでる |
| 御池大橋詰にてクールダウン後解散する。 |