| Author: | uji_walkman (ID: 12644) | Posted: | 2013-12-10 02:35 GMT+00:00 | Mileage: | 10.94 km | |
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| Tags: | 歩こう会, ウォーキング, 京都 |
| Views: 1073 |
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12/8日 宇治市民歩こう会(第590回)12月例会が開催され参加する。
コース= JR丹波口駅(9:20)-光徳公園集合~壬生寺~西院春日神社~山王神社~猿田彦神社~千石荘公園(昼食)蚕ノ社(木島神社)~広隆寺~車折神社~鹿王院~嵐山(解散)。今回は壬生寺から嵐電沿線に沿ったコースで紅葉も終わり近い観光地を歩きました。参加者107名・10Kmでした。
| 光徳公園にて出発前の打ち合わせ |
| 出発 |
| 壬生寺 |
壬生寺は新撰組隊士の墓所(壬生塚)があることで知られています。また、パントマイムで仏の教えを説いたと言われる壬生狂言という伝統芸能でも有名な寺院です。。-京都散歩ナビより-
| 壬生寺本堂 |
| 新選組屯所遺蹟(八木邸) |
| 新選組駐屯所(旧前川邸) |
| 元祇園梛神社・隼神社 |
| 社殿ー元祇園梛神社(左)・隼神社(右) |
| 春日神社 |
春日神社は淳和天皇が退位に伴い淳和院離宮(別名西院・この付近の地名である西院の由来となった)へ居を移すに際し、天長10年(833年)にその守護社として創建された。付近では当時の淳和院の遺構が発掘されており、規模の大きな離宮であったことが判明している。-ウィキペディアより-
| 本殿・境内で小休止 |
| 山王神社 |
| 社殿 |
| 嵐電・三条通りへ |
| 猿田彦神社 |
祭神、猿田彦大神。平安期、最澄が座禅のために霊窟を求めて探して歩いていたところ、猿田彦神が現れてこの地を示ししため、座禅石の傍らに猿田彦神を祀ったことを創祀の始めと伝える。-京都かんこうNaViより-
| 御参りをする |
| サンサ右京・右京区総合庁舎 |
| 千石荘公園にて昼休憩 |
| PM出発前の打ち合わせ |
| 紅葉が綺麗な公園を後に・・ |
| 蚕ノ社(木島神社) |
木島神社の起源は定かではないが続日本紀の大宝元年(701年)4月3日の条にこの神社の名があることからそれ以前から祭祀されていたとされる。-ウィキペディアより-
| 境内・・ |
| 三柱鳥居 |
社殿の西にかつては湧水が豊富であった「元糺の池」(もとただすのいけ)という池の中に三柱鳥居がある。柱が三本で三正面、上からの形は三角形となっている鳥居は珍しい存在であり京都三鳥居の一つとされている。これも起源不明ながら現存するものは天保2年(1831年)に再興されたものである。-ウィキペディアより-
| 広隆寺 |
広隆寺 は、宗派は真言宗系単立。山号を蜂岡山と称する。蜂岡寺、秦公寺、太秦寺などの別称があり、地名を冠して太秦広隆寺とも呼ばれる。帰化人系の氏族である秦氏の氏寺であり、平安京遷都以前から存在した、京都最古の寺院である。 ウィキペディア
| 境内 |
| 講堂・・散りもみじが綺麗・・ |
| 大映通り商店街を歩く |
| 車折神社 |
車折神社は頼業が文治5年(1189年)に亡くなると、清原家の領地であった現在の鎮座地に廟が設けられた。後に、頼業の法名にちなんだ「宝寿院」という寺が建立され、後に天龍寺の末寺となった。-ウィキペディアより-
| 芸能神社・・有名芸能人がズラリ・・ |
| 鹿王院 |
鹿王院は、足利義満が建立した宝幢寺という寺の塔頭(禅寺等で歴代住持の墓塔を守るために建立される寺院)であった。宝幢寺は応仁の乱で廃絶し、その後は開山の塔頭であった鹿王院のみが残って寺籍を継いでいる。-ウィキペディアより-
| JR嵯峨嵐山駅にて帰路につく |