| Author: | uji_walkman (ID: 12644) | Posted: | 2013-09-15 00:11 GMT+00:00 | Mileage: | 7.15 km | |
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| Tags: | Photography, Hiking, 歩こう会 |
| Views: 1248 |
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9/10日 宇治市さわやか歩こう会の9月例会が開催され参加する。
コース= JR石山駅(9:45)集合~晴嵐浜~御殿浜~なぎさ公園~膳所城跡~シャンシャインビーチ(昼食)~なぎさ通り~びわこ文化館~JR大津駅(解散)。朝晩は過ごしやすくなったとは言え、日中はまだ残暑きびしく、汗を拭き拭き湖岸の浜を歩きましたが、琵琶湖からの風はヒンヤリト心地よく初秋を感じながら湖岸ウォークを楽しみました。距離11km・参加者125名でした。
| JR石山駅前・出発前の打ち合わせ |
| JR石山駅を出発 |
| 湖岸道路に出る |
| メタセコイア並木を歩く |
| メタセコイア並木を湖岸に出る |
| 晴嵐浜へ・・ |
| 晴嵐浜を歩く |
| アオコ・水草の除去風景 |
| 膳所城跡公園へ |
膳所城は、徳川家康が関ヶ原の合戦の後、築城の名手といわれた藤堂高虎に最初に造らせた城でした。城構えは、湖水を利用して西側に天然の堀を巡らせた典型的な水城で、白亜の天守閣や石垣、白壁の塀・櫓(やぐら)が美しく湖面に浮かぶ姿は、実に素晴らしかったといいます。この美観は、「瀬田(せた)の唐橋(からはし)唐金擬宝珠(からかねぎぼし)、水に映るは膳所の城」と里謡(さとうた)にも謡(うた)われています。
| 歩こう会(個人?)歓迎風景・・ |
| 乙女ヶ池桟橋を歩く |
| 膳所港船溜りを歩く |
| 琵琶湖の釣り風景 |
| におの浜を歩く |
| 地上のトンビ |
| におの浜を歩く |
| 琵琶湖プリンスホテル |
大津プリンスホテル(おおつプリンスホテル)は、滋賀県大津市の琵琶湖畔に建つシティホテル。世界的な建築家の丹下健三が設計を手掛けた。
| なぎさ公園に到着 |
水と緑に親しむ施設。浜大津から近江大橋までの湖岸一帯
おまつり広場、打出の森、なぎさのプロムナード、市民プラザ、サンシャインビーチ、膳所・晴嵐の道などが整備されている。
| 観光船ミシガンに出合う |
| におの浜観光桟橋に・・ |
1982年(昭和57年)4月26日 - 外輪船「ミシガン」が就航する。
| 休憩(昼食)後出発 |
| 広々としたにおの浜を後に・・ |
| 琵琶湖文化館 |
1948年に開館した滋賀県立産業文化館を前身として、博物館、近代美術館、展望閣、淡水魚水族館などを有する滋賀県初の総合博物館として1961年に開館した。
その後、近現代の日本画・洋画のコレクションは滋賀県立近代美術館に、考古資料は滋賀県立安土城考古博物館に、淡水水族館は滋賀県立琵琶湖博物館に移され、「近江の歴史と文化」にテーマを絞って郷土の文化を紹介する施設となった。 その核となっていたのは常設の企画展示室で、滋賀県内の寺院から寄託された国宝・重要文化財を含む質の高い仏教美術作品を展示していた。
| 明智左馬之助湖水渡りの碑 |
天正10年(1582)6月2日、明智光秀は主君・織田信長を本能寺に攻めて自害させ、天下を奪ったが山崎の合戦で秀吉に敗れ、その野望は消え失せた。
光秀の弟左馬助光春は、信長の居城・安土城を攻めていたが、兄の死を聞いて急ぎ坂本城へ引き返す途中、打出浜より路を湖水に求め愛馬にまたがりびわ湖を渡り坂本に帰った。しかし、時すでに遅く、秀吉の軍勢に囲まれ、6月14日、光秀の妻子らとともに、城と命運をともにした。湖水渡りの勇姿は、今も講談などで語りつがれている。
| 中央大通りを歩く |
| 大津駅前公園にて解散風景 |
| JR大津駅へ・帰路に就く |