JR山崎駅
石清水八幡宮の元社にあたる神社。八幡大神を祭神とする。貞観元年(859年)に清和天皇が、神託により国家安泰のため宇佐神宮から分霊し平安京の守護神として奉安することとし、その時に九州に使わされた大安寺の僧行教が帰途山崎の津(当時の淀川水運の拠点港)で神降山に霊光を見、その地より石清水の湧いたのを帰京後天皇に奏上したところ、国家鎮護のため清和天皇の勅命により「石清水八幡宮」が建立された。(ウィキペディア)。
出発前のボランティア・ガイドさん紹介
関大明神
大山崎町歴史資料館で説明を聞く
天王山登山口
大念寺
大念寺本堂
室町時代後期の弘治元年(1555年)、井尻但馬守長助による開基、開山は知恩院から招いた徳誉光然である。 堂宇は禁門の変で兵火を受けて焼失したが、その後再建されて現在に至る。(ウィキペディア)
宝積寺
・・・
十七士埋骨地
青木葉谷展望所
青木葉谷展望台 (あおきばだにてんぼうだい) は、天王山頂への登り道の七合目付近にあります。桂川、宇治川、木津川の三点合流地点が見えるスポットとなっているはずですが、木々が茂っていて、あまり視界は良くありません。晴れた日には大阪平野から大阪城まで見えます。
酒解神社に到着
旗立松展望台からの眺め
1582年におこった山崎合戦の時、秀吉が味方の士気を高めるため老松の樹上高く千成ひょうたんの旗印を掲げた所で、戦局に大きな影響を与え、勝利を収めたといわれます。展望台からの眺めは、「京都の自然二百選」に選ばれていて、そこから明智軍と秀吉軍が布陣していたとされる山崎の古戦場も確認できます。
十七士の墓は、禁門の変(1864年)の時、戦いに敗れ天王山中で自刃した隊長真木和泉守以下十七名の眠る墓です。彼らは新政府樹立を夢見て革命を図りましたが時熟せず失敗に終わり、後の時代に夢を託して散っていったのでした。新政府の誕生は変の4年後のこと。
蛭子社(蛭子神),月讀社(月讀大神),天照大神社(天照大神)。
酒解神社本殿
もうすぐ山頂
山崎城址、標高270M秀吉が山崎合戦のあと城築いています。井戸・空堀・石垣などの遺構があります。
休憩後(昼食)PM行動ミーティング
帰路・一気に下る
真言宗系単立の寺院。正式の寺号は観音寺。山号は妙音山。「山崎聖天」、「山崎の聖天さん」と通称され、信仰を集めている。寺伝では昌泰2年(899年)に寛平法皇(宇多天皇)により創建されたというが、その後衰退。江戸時代初期に摂津勝尾寺の僧・木食以空によって再興された。歓喜天(聖天)を鎮守として祀り、特に商人から信仰された。しかし、禁門の変に巻き込まれ、事前に避難させた本尊の十一面千手観世音菩薩と歓喜天像以外を残して焼失した。2006年現在ある建物は明治時代に再建されたものである。(ウィキペディア)。
登山口(観音寺)に降りる
ガイドさんに感謝して解散
大山崎・天王山-秀吉の道を歩く
uji_walkman
Author: uji_walkman (ID: 12644)
Posted: 2013-05-26 05:24 GMT+00:00
Mileage: 1.49 km
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Tags: Photography, Hiking, 歩こう会
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5/16日、Uji健歩会5月例会が開催され参加する。
 コース= JR山崎駅(10:00)集合~離宮八幡宮~妙喜庵~大念寺~宝積寺~旗立松展望台~十七士の墓~酒解神社~天王山山頂(昼食)~観音寺~JR山崎駅(解散)。今回のウォークはボランティアさんのガイド付きで歴史を学びながら山頂を目指しました。低い山ながら急な坂や足場の悪い道もあり、結構登山気分を楽しみました。(270m・4km)でした。

(GPS・・スタートから午前中動作不調で記録出来ず、画像位置ずれています。)

JR山崎駅
離宮八幡宮・集合場所
石清水八幡宮の元社にあたる神社。八幡大神を祭神とする。貞観元年(859年)に清和天皇が、神託により国家安泰のため宇佐神宮から分霊し平安京の守護神として奉安することとし、その時に九州に使わされた大安寺の僧行教が帰途山崎の津(当時の淀川水運の拠点港)で神降山に霊光を見、その地より石清水の湧いたのを帰京後天皇に奏上したところ、国家鎮護のため清和天皇の勅命により「石清水八幡宮」が建立された。(ウィキペディア)。
出発前のボランティア・ガイドさん紹介
関大明神
大山崎町歴史資料館で説明を聞く
天王山登山口
大念寺
大念寺本堂
宝積寺
室町時代後期の弘治元年(1555年)、井尻但馬守長助による開基、開山は知恩院から招いた徳誉光然である。 堂宇は禁門の変で兵火を受けて焼失したが、その後再建されて現在に至る。(ウィキペディア)
宝積寺
・・・
十七士埋骨地
青木葉谷展望所
展望所からの眺め
青木葉谷展望台 (あおきばだにてんぼうだい) は、天王山頂への登り道の七合目付近にあります。桂川、宇治川、木津川の三点合流地点が見えるスポットとなっているはずですが、木々が茂っていて、あまり視界は良くありません。晴れた日には大阪平野から大阪城まで見えます。
酒解神社に到着
旗立松展望台からの眺め
旗立松展望台
1582年におこった山崎合戦の時、秀吉が味方の士気を高めるため老松の樹上高く千成ひょうたんの旗印を掲げた所で、戦局に大きな影響を与え、勝利を収めたといわれます。展望台からの眺めは、「京都の自然二百選」に選ばれていて、そこから明智軍と秀吉軍が布陣していたとされる山崎の古戦場も確認できます。
十七士の墓
十七士の墓は、禁門の変(1864年)の時、戦いに敗れ天王山中で自刃した隊長真木和泉守以下十七名の眠る墓です。彼らは新政府樹立を夢見て革命を図りましたが時熟せず失敗に終わり、後の時代に夢を託して散っていったのでした。新政府の誕生は変の4年後のこと。
三社宮
蛭子社(蛭子神),月讀社(月讀大神),天照大神社(天照大神)。
酒解神社本殿
もうすぐ山頂
天王山山頂
山崎城址、標高270M秀吉が山崎合戦のあと城築いています。井戸・空堀・石垣などの遺構があります。
休憩後(昼食)PM行動ミーティング
帰路・一気に下る
観音寺・山崎聖天
真言宗系単立の寺院。正式の寺号は観音寺。山号は妙音山。「山崎聖天」、「山崎の聖天さん」と通称され、信仰を集めている。寺伝では昌泰2年(899年)に寛平法皇(宇多天皇)により創建されたというが、その後衰退。江戸時代初期に摂津勝尾寺の僧・木食以空によって再興された。歓喜天(聖天)を鎮守として祀り、特に商人から信仰された。しかし、禁門の変に巻き込まれ、事前に避難させた本尊の十一面千手観世音菩薩と歓喜天像以外を残して焼失した。2006年現在ある建物は明治時代に再建されたものである。(ウィキペディア)。
登山口(観音寺)に降りる
ガイドさんに感謝して解散
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