出発前の打ち合わせ風景
ウォーミングアップ
妙心寺(みょうしんじ)は、臨済宗妙心寺派大本山の寺院。山号を正法山と称する。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は花園天皇。開山(初代住職)は関山慧玄(無相大師)。 日本にある臨済宗寺院約6,000か寺のうち、約3,500か寺を妙心寺派で占める。近世に再建された三門、仏殿、法堂(はっとう)などの中心伽藍の周囲には多くの塔頭が建ち並び、一大寺院群を形成している。平安京範囲内で北西の12町を占め自然も多いため、京都市民からは西の御所と呼ばれ親しまれている。
妙心寺 南総門から境内へ
広い境内を歩く
妙心寺山門
法堂(重文)
鐘楼
広大な境内を歩く
北門から妙心寺を後に
嵐電御室仁和寺駅
レトロな嵐電御室仁和寺駅
仁和寺に到着
仁和寺(にんなじ)は、真言宗御室派総本山の寺院。山号を大内山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇。「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されている。 皇室とゆかりの深い寺(門跡寺院)で、出家後の宇多法皇が住したことから、「御室御所」(おむろごしょ)と称された。明治維新以降は、仁和寺の門跡に皇族が就かなくなったこともあり、「旧御室御所」と称するようになった。 御室は桜の名所としても知られ、春の桜と秋の紅葉の時期は多くの参拝者でにぎわう。
中門(重要文化財)
五重塔(重要文化財) - 1644年建立
金堂(国宝)- 慶長18年(1613年)に建立された旧皇居の正殿・紫宸殿を寛永年間(1624年-1644年)に移建改築したもので、近世の寝殿造遺構として重要。
鐘楼前を歩く
嵐電 宇多野駅
嵐電 宇多野駅
この辺りは造園業が多い
「千代の古道」石標
平安貴族が北嵯峨に遊行の折、通った道。雙ケ岡―常盤―鳴滝―広沢池を結び、新古今集の藤原定家の歌など、多くの歌にも詠まれている。しかし、道筋は地元自称など諸説があり、定かではない。なかには歌の上だけの道とする説もある。地名に「嵯峨野千代の道町」がある。
平安時代の中期、989年(永祚元年)に遍照寺の建立にあわせ庭池として本堂の南に造営されたとも言われている。異説として、嵯峨野一帯を開墾した渡来系豪族の秦(はた)氏一族が溜池として造ったとも言われている。平安時代に作られた池は、遍照寺と共に廃れて行ったが明治時代に、地元の人々の協力で修復された。
児神社は創立年月不詳、祭神は寛朝大僧正の侍児である。寛朝大僧正は、成田山新勝寺を開創、後にこの嵯峨広沢の地に遍照寺を建立、名僧正として徳は一世に及ぶものなしと言われた。長徳四(998)年六月十ニ日、大僧正示寂、伝聞ではその時、遍照寺山腹の老松から龍となり、静かに昇天してゆくのが見えたという。残された児は、悲嘆・悲泣し、後を追い、山腹下に広がる広沢の池に身を沈めた。近在の人々、この児を哀れと思い、その霊を慰めんものとこの社を創建、以来児神社と称されるようになった。
休憩後 児神社を後に
PM行動打ち合わせ風景
後宇多天皇陵
解散前のクールダウン
大覚寺(だいかくじ)は、真言宗大覚寺派大本山の寺院。山号を嵯峨山と称する。本尊は不動明王を中心とする五大明王、開基は嵯峨天皇である。嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院である。また、後宇多法皇がここで院政を行うなど、日本の政治史に深い関わりをもつ寺院である。
京都 松原通りを東大路から西へ歩くと六道珍皇寺(ろくどうちんこうじ)がある。この辺りは六道の辻(ろくどうのつじ)と呼ばれる。六道というのは仏教用語で、人間は天界・人界・畜生・修羅・餓鬼・地獄の六つの世界を生まれ変わる存在であるという考えで、ここはその辻、すなわち、あの世とこの世の境目にあたるところ。普段はのんびりとしたこの界隈が毎年8月7~10日の4日間は身動きできないほどの人で埋まる。お盆のお精霊(しょらい)さん迎えの行事・六道参りで、亡き人が年一回ここを通って各家々に帰っていく。
JR嵯峨嵐山から帰路に
京都・妙心寺-大覚寺を歩く
uji_walkman
Author: uji_walkman (ID: 12644)
Posted: 2013-03-16 06:31 GMT+00:00
Mileage: 9.78 km
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Tags: 歩こう会
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3/6日、uji健歩会の3月例会が開催され参加する。
コース= JR花園駅(10:00)集合~妙心寺~嵐電御室駅~仁和寺~福王寺~嵐電高雄口~広沢池畔~児島神社(昼食)~北嵯峨野地区~大覚寺(解散)。 昔、大宮人嵯峨野の優雅な風情を愛でつつ広沢池を嵯峨野院(大覚寺)へと生還したと伝えられる「千代の古道」を古に思いをはせながら歩きました。8km・参加者75名でした。

出発前の打ち合わせ風景
ウォーミングアップ
妙心寺へ
妙心寺(みょうしんじ)は、臨済宗妙心寺派大本山の寺院。山号を正法山と称する。本尊は釈迦如来。開基(創立者)は花園天皇。開山(初代住職)は関山慧玄(無相大師)。 日本にある臨済宗寺院約6,000か寺のうち、約3,500か寺を妙心寺派で占める。近世に再建された三門、仏殿、法堂(はっとう)などの中心伽藍の周囲には多くの塔頭が建ち並び、一大寺院群を形成している。平安京範囲内で北西の12町を占め自然も多いため、京都市民からは西の御所と呼ばれ親しまれている。
妙心寺 南総門から境内へ
広い境内を歩く
妙心寺山門
法堂(重文)
鐘楼
広大な境内を歩く
北門から妙心寺を後に
嵐電御室仁和寺駅
レトロな嵐電御室仁和寺駅
仁和寺に到着
堂々仁王門
仁和寺(にんなじ)は、真言宗御室派総本山の寺院。山号を大内山と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は宇多天皇。「古都京都の文化財」として、世界遺産に登録されている。 皇室とゆかりの深い寺(門跡寺院)で、出家後の宇多法皇が住したことから、「御室御所」(おむろごしょ)と称された。明治維新以降は、仁和寺の門跡に皇族が就かなくなったこともあり、「旧御室御所」と称するようになった。 御室は桜の名所としても知られ、春の桜と秋の紅葉の時期は多くの参拝者でにぎわう。
中門(重要文化財)
五重塔(重要文化財) - 1644年建立
金堂(国宝)
金堂(国宝)- 慶長18年(1613年)に建立された旧皇居の正殿・紫宸殿を寛永年間(1624年-1644年)に移建改築したもので、近世の寝殿造遺構として重要。
鐘楼前を歩く
嵐電 宇多野駅
嵐電 宇多野駅
この辺りは造園業が多い
「千代の古道」石標
「千代の古道」を歩く
平安貴族が北嵯峨に遊行の折、通った道。雙ケ岡―常盤―鳴滝―広沢池を結び、新古今集の藤原定家の歌など、多くの歌にも詠まれている。しかし、道筋は地元自称など諸説があり、定かではない。なかには歌の上だけの道とする説もある。地名に「嵯峨野千代の道町」がある。
広沢の池
平安時代の中期、989年(永祚元年)に遍照寺の建立にあわせ庭池として本堂の南に造営されたとも言われている。異説として、嵯峨野一帯を開墾した渡来系豪族の秦(はた)氏一族が溜池として造ったとも言われている。平安時代に作られた池は、遍照寺と共に廃れて行ったが明治時代に、地元の人々の協力で修復された。
児神社に到着
児神社は創立年月不詳、祭神は寛朝大僧正の侍児である。寛朝大僧正は、成田山新勝寺を開創、後にこの嵯峨広沢の地に遍照寺を建立、名僧正として徳は一世に及ぶものなしと言われた。長徳四(998)年六月十ニ日、大僧正示寂、伝聞ではその時、遍照寺山腹の老松から龍となり、静かに昇天してゆくのが見えたという。残された児は、悲嘆・悲泣し、後を追い、山腹下に広がる広沢の池に身を沈めた。近在の人々、この児を哀れと思い、その霊を慰めんものとこの社を創建、以来児神社と称されるようになった。
休憩後 児神社を後に
PM行動打ち合わせ風景
後宇多天皇陵
解散前のクールダウン
大覚寺 御所阯
大覚寺(だいかくじ)は、真言宗大覚寺派大本山の寺院。山号を嵯峨山と称する。本尊は不動明王を中心とする五大明王、開基は嵯峨天皇である。嵯峨天皇の離宮を寺に改めた皇室ゆかりの寺院である。また、後宇多法皇がここで院政を行うなど、日本の政治史に深い関わりをもつ寺院である。
六道の辻
京都 松原通りを東大路から西へ歩くと六道珍皇寺(ろくどうちんこうじ)がある。この辺りは六道の辻(ろくどうのつじ)と呼ばれる。六道というのは仏教用語で、人間は天界・人界・畜生・修羅・餓鬼・地獄の六つの世界を生まれ変わる存在であるという考えで、ここはその辻、すなわち、あの世とこの世の境目にあたるところ。普段はのんびりとしたこの界隈が毎年8月7~10日の4日間は身動きできないほどの人で埋まる。お盆のお精霊(しょらい)さん迎えの行事・六道参りで、亡き人が年一回ここを通って各家々に帰っていく。
JR嵯峨嵐山から帰路に
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