JR京都駅八条口・素音モール前の集合・打ち合わせ風景
イオンモール前を出発
伏見稲荷大社・御旅所
御旅所、祭礼のときに神輿(みこし)を本宮から移し一時的に立ち寄り場所(仮安置)。伏見稲荷大社の御旅所は、かつては「油小路七条」と「八条坊門猪熊」の2箇所にあったが、豊臣秀吉が一つに合わせてこの地に移した。普段は静かな境内だが、4月・5月の稲荷祭の期間には大変賑わう。稲荷大神は、東寺の守護神でもある。
東寺は正しくは教王護国寺といい、平安建都の際、都の南玄関、羅城門の東に作られた。後に空海が賜り、密教の根本道場(こんぽんどうじょう)とし、今に至る。
東寺境内を歩く
国宝。東寺のみならず京都のシンボルとなっている塔である。高さ54.8メートルは木造塔としては日本一の高さを誇る。天長3年(826年)空海により、創建着手にはじまるが、実際の創建は空海没後の9世紀末であった。雷火や不審火で4回焼失しており、現在の塔は5代目で、寛永21年(1644年)、徳川家光の寄進で建てられたものである。
東寺を後に・・
東寺堀端を歩く
羅城門(らじょうもん)は、古代、平城京や平安京といった条坊都市の中央を南北に貫いた朱雀大路の南端に構えられた大門である。事実上の都の正門ともいうべき門であった。「羅城」とは都城の城壁のこと。平安京(現在の京都市中心部)の羅城門が有名である。
矢取地蔵尊
創祀は安政4年に奉納された神鏡の記録によれば、仏教伝来のころに鎮座したとされ、伏見稲荷より古く元稲荷と称された。元天文家で陰陽師の安倍晴明が土御門家の祭祀として代々禁中の祈願をしたと伝えられる。もともと梅小路の土御門邸に祀られていたが、国鉄拡張のため、唐橋村の招致により遷座した。社殿は、元和6年、嘉永3年、安政4年、明治44年、平成8年に新築・改築をしたと記録に残る。
鎌達(けんたつ)稲荷神社
西寺は、平安時代、現在の京都市南区唐橋にあったとされる寺。東寺と対になる官寺として創建された。
 西寺の跡は1921年(大正10年)に国の史跡「西寺跡」(さいじあと)に指定された。昭和34年からの発掘調査により、金堂・廻廊・僧坊・食堂院・南大門等の遺構が確認され、当初の未指定部分が同41年に追加指定された。在来の土壇は講堂跡と判明した。東寺とあいまって平安京の規模を知る上にも重要とされる。
西寺址を後に・・
道祖神社
御前通ガード・狭い歩道を通る
梅小路公園は、市街地の中心(京都駅から西へ徒歩約15分)にありながら人が緑と花で憩える空間として、また災害時には市民の皆さんが避難できる場所として、1995(平成7)年から開園している面積約12.5ヘクタールの都市公園。「ふれあい広場」「チンチン電車」「JR梅小路蒸気機関車館」「京都水族館」などがある。
京都水族館
公園内の庭園を歩く
咲き始めた梅園
戒光寺は、鎌倉時代の1228年(安貞2年)に宋から帰朝した浄業曇照が創建し、後堀河天皇の勅願所となった。その後1645年(正保2年)に現在の東山にある真言宗泉涌寺派総本山御寺泉涌寺の塔頭になったといわれている。
解散挨拶風景
京都・西寺址-梅小路公園ウォーク
uji_walkman
Author: uji_walkman (ID: 12644)
Posted: 2013-02-15 06:26 GMT+00:00
Mileage: 7.07 km
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Tags: ウォーキング
Views: 1248
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2/12日、宇治市さわやか歩こう会2月例会が開催され参加する。
 コース= JR京都駅八条口(イオンモール前 9:45)集合~伏見稲荷御旅所~東寺~西寺址~梅小路公園(昼食)~戒光寺址公園(解散)。当日は晴天に恵まれて絶好のウォーキング日和。平安京の洛中南端の八条・九条界隈を歩き東寺・西寺址・羅城門址をめぐり往時を偲びました。参加者150名・8kmでした。

JR京都駅八条口・素音モール前の集合・打ち合わせ風景
イオンモール前を出発
伏見稲荷大社・御旅所
伏見稲荷大社・御旅
御旅所、祭礼のときに神輿(みこし)を本宮から移し一時的に立ち寄り場所(仮安置)。伏見稲荷大社の御旅所は、かつては「油小路七条」と「八条坊門猪熊」の2箇所にあったが、豊臣秀吉が一つに合わせてこの地に移した。普段は静かな境内だが、4月・5月の稲荷祭の期間には大変賑わう。稲荷大神は、東寺の守護神でもある。
東寺に到着
東寺は正しくは教王護国寺といい、平安建都の際、都の南玄関、羅城門の東に作られた。後に空海が賜り、密教の根本道場(こんぽんどうじょう)とし、今に至る。
東寺境内を歩く
五重塔
国宝。東寺のみならず京都のシンボルとなっている塔である。高さ54.8メートルは木造塔としては日本一の高さを誇る。天長3年(826年)空海により、創建着手にはじまるが、実際の創建は空海没後の9世紀末であった。雷火や不審火で4回焼失しており、現在の塔は5代目で、寛永21年(1644年)、徳川家光の寄進で建てられたものである。
東寺を後に・・
東寺堀端を歩く
羅城門址
羅城門(らじょうもん)は、古代、平城京や平安京といった条坊都市の中央を南北に貫いた朱雀大路の南端に構えられた大門である。事実上の都の正門ともいうべき門であった。「羅城」とは都城の城壁のこと。平安京(現在の京都市中心部)の羅城門が有名である。
矢取地蔵尊
鎌達(けんたつ)稲荷神社
創祀は安政4年に奉納された神鏡の記録によれば、仏教伝来のころに鎮座したとされ、伏見稲荷より古く元稲荷と称された。元天文家で陰陽師の安倍晴明が土御門家の祭祀として代々禁中の祈願をしたと伝えられる。もともと梅小路の土御門邸に祀られていたが、国鉄拡張のため、唐橋村の招致により遷座した。社殿は、元和6年、嘉永3年、安政4年、明治44年、平成8年に新築・改築をしたと記録に残る。
鎌達(けんたつ)稲荷神社
西寺址
西寺は、平安時代、現在の京都市南区唐橋にあったとされる寺。東寺と対になる官寺として創建された。
 西寺の跡は1921年(大正10年)に国の史跡「西寺跡」(さいじあと)に指定された。昭和34年からの発掘調査により、金堂・廻廊・僧坊・食堂院・南大門等の遺構が確認され、当初の未指定部分が同41年に追加指定された。在来の土壇は講堂跡と判明した。東寺とあいまって平安京の規模を知る上にも重要とされる。
西寺址を後に・・
道祖神社
御前通ガード・狭い歩道を通る
梅小路公園に到着
梅小路公園は、市街地の中心(京都駅から西へ徒歩約15分)にありながら人が緑と花で憩える空間として、また災害時には市民の皆さんが避難できる場所として、1995(平成7)年から開園している面積約12.5ヘクタールの都市公園。「ふれあい広場」「チンチン電車」「JR梅小路蒸気機関車館」「京都水族館」などがある。
京都水族館
公園内の庭園を歩く
咲き始めた梅園
戒光寺公園に到着
戒光寺は、鎌倉時代の1228年(安貞2年)に宋から帰朝した浄業曇照が創建し、後堀河天皇の勅願所となった。その後1645年(正保2年)に現在の東山にある真言宗泉涌寺派総本山御寺泉涌寺の塔頭になったといわれている。
解散挨拶風景
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