出発前に体をほぐす
小野妹子公園へ
公園に到着
小野妹子神社に到着
推古朝の廷臣、妹子は遣隋使として外国に行かれた先駆者である。 西暦六〇七年聖徳太子が中国の隋朝と外交を開くに当り、遣隋使となり国書をもって渡海する。それには「日出ずる国の天子 日没する国の天子に書をいたす」と記され、大国隋へ対等の外交交渉を拓り開き日本の力を海外に示された外交史上有名な神徳の高い祭神である。今も神社へは外交官、駐在員の参拝が多い。
丘陵上に展望所があり、琵琶湖を一望することができます。対岸の近江富士(三上山)や右手の琵琶湖大橋が美しく見渡せます。
小野道風神社へ
小野道風神社に到着
西暦894年~966年、平安中期の書家、小野篁の孫。父は大宰大弐をつとめた葛絃。醍醐、朱雀、村上三朝に歴任。柳に飛び付く蛙の姿を見て発奮努力して、文筆の極地に達せられ、藤原佐理、藤原行成と共に日本三大文筆、三蹟の一人として文筆の神として崇められている。
 六十六歳の時に天徳詩合の清書をして『能書之絶妙也、義之再生』と賞賛されている。祭神道風の書風はこれ迄の中国の書風を放れ穏やかな整った和様、日本的な書の典型として長く後世迄尊ばれている。
境内の柳に飛びつく蛙
石上古墳群へ
石上古墳群道標
小野神社
参議 篁
「 わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人にはつげよ 海人のつり舟 」
祭神の小野篁(802~52)は、平安初期の歌人、文学者。小野妹子の後裔で、歌人・漢詩人として知られた岑守(みねもり)の子。はじめ弓馬をこととしたが、のち文学に志し、「令義解」の編纂に参加した。
 承和三年(836)遣唐副使に任ぜられたが、大使の藤原常嗣と争い、病いと称して乗船を拒んだため、一時隠岐へ流罪となった。野相公とも呼ばれた。篁の和歌は「古今集」以後の勅撰和歌集に採録されている。
小野小町の塔
小野神社は小野一族の祖であると共に餅及菓子の匠・司の始祖である第五代孝昭天皇の第一皇子天足彦国押人命と同命から数えて七代目の米餠搗大使主命の二神を祀る。
小野篁神社本殿
小野神社参道
和邇公園へ和邇川沿いを歩く
和邇公園
午後、出発前の打ち合わせ
和邇川沿いを歩く
素戔鳴尊(すさのおのみこと)を祭神とする。社伝によれば、康保3年(966)に京都の八坂神社から牛頭天王(ごずてんのう)を勧請して創始したと伝え、明治時代に天皇神社と改めた。
説明を聞く
神社境内
屋根の檜皮葺き(ひわだぶき)葺き替え中。
葺き替え作業見学させてもらう。
本殿は、鎌倉時代に建立、重要文化財に指定されている。正面(桁行)三間、側面(梁間)ニ間の母屋の全面に一間の庇(ひさし)をつける切妻造平入(きりつまづくりひらいり)で、屋根は檜皮葺き(ひわだぶき)である。境内には室町時代のものと思われる石造宝塔(ほうとう)や層塔(そうとう)が残っている。
帰路和邇駅へ
今宿の榎は、西近江路の旧道にあった大樹で、天皇神社の神木とされていました。中央にある石碑は、その名残です。【
14:00 クールダウンして解散。お疲れ様でした。
歩こう会-湖西・小野一族の軌跡を歩く
uji_walkman
Author: uji_walkman (ID: 12644)
Posted: 2012-09-26 00:19 GMT+00:00
Mileage: 5.47 km
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Tags: ウォーキング
Views: 1064
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9/24日宇治健歩会の9月例会が開催され参加する。初代遣隋使・小野妹子をはじめ、小野篁や小野道風など小野一族ゆかりの史跡を歩いてきました。
コース= JR湖西線小野駅(9:45)~小野妹子公園(唐臼山古墳)~小野道風神社~石上古墳群~小野神社・小野篁神社~和邇公園(昼食)天皇神社~JR和邇駅、解散。当日はまだ残暑が残っていましたが、琵琶湖からの風が爽やかで楽しく史跡を巡りました。参加者84名・7.5kmでした。

出発前に体をほぐす
小野妹子公園へ
公園に到着
小野妹子神社に到着
妹子神社
推古朝の廷臣、妹子は遣隋使として外国に行かれた先駆者である。 西暦六〇七年聖徳太子が中国の隋朝と外交を開くに当り、遣隋使となり国書をもって渡海する。それには「日出ずる国の天子 日没する国の天子に書をいたす」と記され、大国隋へ対等の外交交渉を拓り開き日本の力を海外に示された外交史上有名な神徳の高い祭神である。今も神社へは外交官、駐在員の参拝が多い。
展望所
丘陵上に展望所があり、琵琶湖を一望することができます。対岸の近江富士(三上山)や右手の琵琶湖大橋が美しく見渡せます。
小野道風神社へ
小野道風神社に到着
小野道風神社
西暦894年~966年、平安中期の書家、小野篁の孫。父は大宰大弐をつとめた葛絃。醍醐、朱雀、村上三朝に歴任。柳に飛び付く蛙の姿を見て発奮努力して、文筆の極地に達せられ、藤原佐理、藤原行成と共に日本三大文筆、三蹟の一人として文筆の神として崇められている。
 六十六歳の時に天徳詩合の清書をして『能書之絶妙也、義之再生』と賞賛されている。祭神道風の書風はこれ迄の中国の書風を放れ穏やかな整った和様、日本的な書の典型として長く後世迄尊ばれている。
境内の柳に飛びつく蛙
石上古墳群へ
石上古墳群道標
小野神社
境内にたつ 小野篁の歌碑の説明を聞く
参議 篁
「 わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人にはつげよ 海人のつり舟 」
小野篁神社
祭神の小野篁(802~52)は、平安初期の歌人、文学者。小野妹子の後裔で、歌人・漢詩人として知られた岑守(みねもり)の子。はじめ弓馬をこととしたが、のち文学に志し、「令義解」の編纂に参加した。
 承和三年(836)遣唐副使に任ぜられたが、大使の藤原常嗣と争い、病いと称して乗船を拒んだため、一時隠岐へ流罪となった。野相公とも呼ばれた。篁の和歌は「古今集」以後の勅撰和歌集に採録されている。
小野小町の塔
小野神社本社
小野神社は小野一族の祖であると共に餅及菓子の匠・司の始祖である第五代孝昭天皇の第一皇子天足彦国押人命と同命から数えて七代目の米餠搗大使主命の二神を祀る。
小野篁神社本殿
小野神社参道
和邇公園へ和邇川沿いを歩く
和邇公園
午後、出発前の打ち合わせ
和邇川沿いを歩く
天皇神社
素戔鳴尊(すさのおのみこと)を祭神とする。社伝によれば、康保3年(966)に京都の八坂神社から牛頭天王(ごずてんのう)を勧請して創始したと伝え、明治時代に天皇神社と改めた。
説明を聞く
神社境内
屋根の檜皮葺き(ひわだぶき)葺き替え中。
葺き替え作業見学させてもらう。
本殿(補修改修工事中)
本殿は、鎌倉時代に建立、重要文化財に指定されている。正面(桁行)三間、側面(梁間)ニ間の母屋の全面に一間の庇(ひさし)をつける切妻造平入(きりつまづくりひらいり)で、屋根は檜皮葺き(ひわだぶき)である。境内には室町時代のものと思われる石造宝塔(ほうとう)や層塔(そうとう)が残っている。
帰路和邇駅へ
今宿の榎
今宿の榎は、西近江路の旧道にあった大樹で、天皇神社の神木とされていました。中央にある石碑は、その名残です。【
JR和邇駅
14:00 クールダウンして解散。お疲れ様でした。
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