神明神社を出発
太陽が丘運動公園
歩こう会 堂々の行進
立命館高校チアリーダーの演技
宇治市総体開会式
歩こう会出発打ち合わせ風景
太陽が丘シンボル塔
鴻巣山へ
城陽市鴻巣山運動公園
公園内つつじを見かな゛ら・・
精勤者表彰風景
バイパスで繋がる不思議な木
急坂を登る
鴻巣山展望台
展望台からの眺め
創祀の年代は平安時代初期と伝う。史実によれば、清和天皇の貞観元年(859)従五位の下の神位を授けられ、 延喜の制には小社に列せられる。明治6年には村社、同15年には郷社に、同40年には府社に昇格、 現在は社格が廃止され、神社本庁に属する宗教法人水度神社と称する。
水度神社
大規模な掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)を中心に、整然と配置された掘立柱建物群がみつかりました。出土した土器から、これらの建物群は奈良時代のものと考えられ、城陽市一帯に置かれた「久世郡」の郡衙(ぐんが)(役所)跡と推定されています。西側には、飛鳥時代の掘立柱建物群がみつかっており、奈良時代の郡衙に先立つ建物群と考えられています。また東側には、寺(正道廃寺)の存在も推定されています。
芝ヶ原古墳は、南北21m、東西19mの方形の 墳丘に、これより小さな方形の出っ張り(突出部) がつく、前方後方形をしています。方形の墳丘の 中央部分に、長さ3m、幅0.7mの木棺(もっかん)が 直接埋められていました。木棺は腐ってなくなっていましたが、遺体と一緒に埋葬された銅釧(どうくしろ)(銅製の腕輪)・鏡・玉類などが出土しました。
奈良時代に建立された寺で、西に塔、東に金堂を置く法隆寺式の伽藍(がらん)配置をとります。塔は一辺17.2mの瓦積みの基壇(きだん)をもち、国分寺(こくぶんじ)の塔に匹敵する規模であったことがわかっています。寺の範囲は、東西約172m、南北約115mと推定されています。しかし平安時代初期に、塔や金堂などの主要な建物は火災で失われ、その後再建されなかったようです。
久津川車塚古墳は、5世紀前半に築造された南山城最大級の前方後円墳です。二重の周濠(しゅうごう)を含めた全長は約272m、墳丘長は約180mあります。墳丘は3段に築かれ、葺石(ふきいし)と埴輪列(はにわれつ)が施されています。後円部からは、長持形石棺(ながもちがたせっかん)と呼ばれる巨大な石棺がみつかっています。
宇治市民総体-城陽・鴻巣山ウォーク
uji_walkman
Author: uji_walkman (ID: 12644)
Posted: 2012-05-15 04:31 GMT+00:00
Mileage: 11.58 km
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Tags: Hiking, 歩こう会
Views: 1186
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5/13日「第46回宇治市民総合体育大会」が開催され、宇治市歩こう会も大会開会式に参加。式典後城陽・鴻巣山方面を歩く。
コース= 太陽が丘~鴻巣山運動公園(昼食)~水度神社~正道官衙遺跡~芝ヶ原古墳~平川廃寺跡~久津川車塚古墳(解散)。体育大会にふさわしい五月晴れに恵まれ、ウォーキングを楽しみました。参加者93名、7kmでした。

神明神社を出発
太陽が丘運動公園
歩こう会 堂々の行進
立命館高校チアリーダーの演技
宇治市総体開会式
歩こう会出発打ち合わせ風景
太陽が丘シンボル塔
鴻巣山へ
城陽市鴻巣山運動公園
公園内つつじを見かな゛ら・・
精勤者表彰風景
バイパスで繋がる不思議な木
急坂を登る
鴻巣山展望台
展望台からの眺め
水度神社参拝
創祀の年代は平安時代初期と伝う。史実によれば、清和天皇の貞観元年(859)従五位の下の神位を授けられ、 延喜の制には小社に列せられる。明治6年には村社、同15年には郷社に、同40年には府社に昇格、 現在は社格が廃止され、神社本庁に属する宗教法人水度神社と称する。
水度神社
正道官衙遺跡
大規模な掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)を中心に、整然と配置された掘立柱建物群がみつかりました。出土した土器から、これらの建物群は奈良時代のものと考えられ、城陽市一帯に置かれた「久世郡」の郡衙(ぐんが)(役所)跡と推定されています。西側には、飛鳥時代の掘立柱建物群がみつかっており、奈良時代の郡衙に先立つ建物群と考えられています。また東側には、寺(正道廃寺)の存在も推定されています。
芝が原古墳
芝ヶ原古墳は、南北21m、東西19mの方形の 墳丘に、これより小さな方形の出っ張り(突出部) がつく、前方後方形をしています。方形の墳丘の 中央部分に、長さ3m、幅0.7mの木棺(もっかん)が 直接埋められていました。木棺は腐ってなくなっていましたが、遺体と一緒に埋葬された銅釧(どうくしろ)(銅製の腕輪)・鏡・玉類などが出土しました。
平川廃寺跡
奈良時代に建立された寺で、西に塔、東に金堂を置く法隆寺式の伽藍(がらん)配置をとります。塔は一辺17.2mの瓦積みの基壇(きだん)をもち、国分寺(こくぶんじ)の塔に匹敵する規模であったことがわかっています。寺の範囲は、東西約172m、南北約115mと推定されています。しかし平安時代初期に、塔や金堂などの主要な建物は火災で失われ、その後再建されなかったようです。
車塚古墳にて解散
久津川車塚古墳は、5世紀前半に築造された南山城最大級の前方後円墳です。二重の周濠(しゅうごう)を含めた全長は約272m、墳丘長は約180mあります。墳丘は3段に築かれ、葺石(ふきいし)と埴輪列(はにわれつ)が施されています。後円部からは、長持形石棺(ながもちがたせっかん)と呼ばれる巨大な石棺がみつかっています。
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